手のひら


   自分の凡てを投げ打ってでも欲しいものなんて今までなかったと思う。



 それは、ぱちんと音を立てて弾けた。
何がきっかけになったとか、そんなのはない。
ただ、この短い期間にだが溜まりに溜まったものが噴出したというか。
とてもバカげたことだとはわかりきっているけれど。

 ――目の前には、困惑したような流河の顔。

「……泣かないで下さい。」
 静かに響く声が耳に滑り込んでくる。
「……泣いてない。」
 嘘じゃない。涙はまだ零れていないから。
でも、情けないとは思う。ずっと欲しいと思ってきた人間の身体をベッドに押し付けて
こんな泣きそうな顔をしてしまうなんて。
あさはかだと思う。こんなことして、もう取り返しなんかつかない。
きっと、彼はもう前みたいに俺の名前を呼ばない。

 そんなこと、もう覚悟できてたはずだろ。







 図書室の一件から俺は何度も流河と接触した。
むろん下心があってのことだ。今更、云い訳する気もない。
そうやって親しい友達のふりをして、やさしくして、好かれるように努力をして。
何とか流河を口説き落として、家のアパートまで連れ込んだ。
必死だったんだと思う。最後の辺りは、大分強引だった。
もはや、そんなことも遠い昔のことのようにうろ覚えになってしまったけれど。
 流河は何かを悟っていたのか、あまり口を開かなかった。
「……お前と、したいんだよ。」
「――何を、」
「セックス。」
 俯いたまま、流河は息をついた。
「大谷く――、」
「わかってるよ、バカだって云いたいんだろ。そんなの、もうわかってる。」
「……、」
「でも、俺はもう治まりのつかないとこまできてんだよ。
お前には何だかわからないだろうけど、俺はもう耐え切れない。」
 ひとりよがりは百も承知だった。唐突なくらい吐き出した本音は
ぐるぐると俺の中を渦巻いて黒く深くなっていく。
ぽつり、と流河が呟いた。
「……犯罪、にもなりかねませんよ。」
「構わない。」
「構ってください――、あなたはもっと冷静になるべきだ。」
「冷静になれたら、お前を抱きたいなんて思わないよ。」
「不毛です、こんなことは――、」
「そんなのわかってるって云ってるだろ……!」
 流河の華奢な肩を掴んで、そのままベッドに押し倒した。
困惑した表情で、流河は呟く。
「……泣かないで下さい。」
 静かに響く声が耳に滑り込んでくる。
「……泣いてない。」
 嘘じゃない。涙はまだ零れていないから。
でも、情けないとは思う。ずっと欲しいと思ってきた人間の身体をベッドに押し付けて
こんな泣きそうな顔をしてしまうなんて。
あさはかだと思う。こんなことして、もう取り返しなんかつかない。
「……離して下さい、今ならまだ間に合う。」
「そんなのいらない、」
「大谷君、」
「――痛い思い、させると思う。」
 顰め面で呟くと、流河は本当に困ったような顔で俺の頬を撫でた。
「好き勝手にされるほど、私は大人しくありませんよ。」
「……ああ。」
「同情で抱かれるほどやさしくもない――、」


「わかってるよ。」


 未だ言葉を発しようとした唇に、俺は噛み付くようにキスをした。












 カーテンを引いた窓は、そうでなくても薄暗く明かりも望めなかった。
時間的には、もう日が沈む頃だろうか。晴れていなかったので今日は確認できないが。
そんなどうでもいいようなことを考えながら、熱い息を吐き出す。
夢で見たのと同じで、流河の身体は真っ白だった。
ただ少し意外だったのが、彼の体温が思ったより高かったことだ。
シャツの裾から触れた薄い腹は、華奢だけれども暖かかった。
「好き勝手にされるほど、私は大人しくありませんよ。」と云った流河は、
それでも目を閉じて堪えるようにじっとしている。
「……、」
 流河の前髪を掻き上げて、額にキスを落とす。
そのまま唇を下降させ、瞼、頬、唇の端、首筋、鎖骨まで移動する。
捲り上げたシャツから露わになった胸の突起を摘むと、微かに反応があった。
ちゅ、と大きく音を立てて吸い上げると滑らかな肌に紅い鬱血の痕が残る。
全身くまなく触れたくて脇腹をするりと撫ぜると、ぞくりと流河の肩が震えた。
自分の手で反応を示してくれるのが嬉しくて、俺は自然な動きで
流河のジーンズのボタンを外した。ジッパーを下ろす音が、やけに大きく室内に響く。
ふわり、と流河の腕が自分の顔を伏せた。
細っこい流河の腰を抱いて、俺は目の前のものにしゃぶりつく。
今度こそ、流河の身体がびくっと跳ねた。でも、抗いはしない。
とはいえ、俺だって立派な男だ。フェラチオなんてやったことがない。
(妄想の中の流河には何度もしてやったし、してもらったが)
数多くない経験の中から順を追って思い出すように、頭を上下に動かした。
歯を立てないように慎重に舌を使っていると、俺の口の中で小さくやわらかかったものが
みるみる硬く張り詰めていっぱいになっていく。
「……っ…、」
 覆われた腕の下から微かに息をつくような呻き声が上がる。
感じている、流河が。
俺が、感じさせている。
 陶酔するように、俺はその行為に没頭した。堪えるような流河とは対照的に、
それは嬉しそうに先走りの蜜を零す。こんな不味いもの、とも思うが
流河の放ったものならば俺は飲んでも平気なのだろう。
先端にやんわりと歯を立てると流河は明らかに身体を硬直させた。
慌てて起き上がり、俺の頭を押しのけようとする。
「…やめ……っ!」
「嫌だ。」
「っ…う……、」
 びくんっ、と大きく身体を痙攣させて流河は白濁を放った。
俺の口の中に、ねばっこい粘液が広がる。決して美味いとは思わないが、
それほどの嫌悪感もなかった。ごくり、と一気に飲み下すと流河は信じられないものを
見るように、微かだが顔を歪める。
 ――もう、何と思われても構わないんだ。俺は俺の欲望を果たすだけ。
いいんだ、最後になっても。この行為が決別であっても。
 するりと、俺の指が流河の後ろの方を探る。
すぐに恐怖感が戻ってきたのか、流河は再び両腕で顔を覆った。

 

 

 

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